※愚痴話です。苦手な方はブラウザバック推奨。
猫ミームとは? という方のために説明しておきますと、猫の動画を雑に貼り付けて作られた体験談動画です。
最近やたらと流行っているんですよね。気づいたら僕も視聴していました。
最初はゆっくり動画とかボイスロイド動画の劣化版のように思えていたのですが......。
いやいや、猫ミームは猫ミームで。これでしか出せない良さがあります。
職場の闇、ブラック労働など、猫ミーム如きでは緩和しきれないお話も猫ミームで出ているのが特徴です。
登場人物を猫(+他の動物達)にすることで暗い体験談でもヘビーさを緩和して話を展開できるのです。......猫でもカバーしきれない闇もあるけどな......!!!!
なかには「大変だったけど頑張って良かった」みたいなホッコリできる体験談も猫ミームとして投稿されていたりします。
こういうのって良いなと思います。
今まではyoutubeで体験談を出そうとすれば普通に顔出し配信とか、Vtuberのように二次元の皮を用意して配信するとか、ボイスロイド・ゆっくりなどのキャラクターを用いたストーリー動画を製作するとか、なかなかにハードルが高かったんですよね。
それに比べれば猫ミームはだいぶ敷居が下がってきたというか......。暴露話がメインなので、雑に作っても暴露話になっていれば問題ないというか......。(※俺のなかではそれでも製作敷居は高いです......)
ていうか、動画作る人って凄いよね。
僕も小さい頃は小説家とか漫画家になりたいと思うこともあったけれど、最近の子はそこにyoutuberや動画投稿者も加わっているのではないだろうか? 自由な創作活動って憧れるんだよねー。
どうなんだろうか? 僕の学生時代は声優に憧れるオタク仲間は多かったと思うのだけど、今時のオタク学生だとVtuberに憧れるようになっていたりするのかな?
あれも面白いよね。
俳優で食っていきたかった人が夢破れて声優を始めるようになって。
その声優も人気が出てくると声優志望者が続出して。
競争に負けて食っていけなくなった声優がVtuberになって。
そのVtuberも人気になってくると......。今度は何が生まれるのだろうね?
人気さえ出れば俳優でも声優でもVtuberでも専門学校やタレント事務所ができるからな......。次に生まれる何かも黎明期を過ぎて人気になってくればそういう学校やタレント事務所ができるのでしょうな......。
まあ、Vtuberに関しては声優出身以外にも生主とかまったくの素人とか色々いるのだけども。
現在、力のあるVtuberはみんな黎明期から続けてきた人たちなんだよね。
これだけで食っていける保証はない。むしろゼロと言ってもいい。好きだからやる以外にモチベーションを得られない。趣味のようなもの。職業とは認められない。
かつてはそんなものだった。
というのに、それでも前に進み続けて食っていけるようになった人たちは凄い。その道の第一人者になりたいのなら、やっぱり黎明期から身を投じないとだよねー。
勿論、辞めていった人たちもいたし、後発に追い抜かれていった例もあるけれど。
勝ち組だから入るのではない。稼げそうだから入るのではない。成功できるから入るのではない。
自分がやりたいから。面白そうだと感じたから。好きだから。将来性に希望を見たから入る。
生活は苦しくても、心から自分のやりたいことを仕事にしようとしているのだから、泣いても笑っても続ける。
僕はそういうのに憧れます。
そのような心と言と行を一致させている誠の人になりたいです。
今の僕は心も言も行もバラバラです。
心ではやりたくないのに収入面だけを見て異動を受け入れ。
言葉では頑張りますと言いつつも本格勤務前の見学時点で逃げたくなって。
それなのに行動自体は異動先で身を固めるように動いていて。
バラバラだ......。
自分の心に従いたい......。どうして頭だけで考えて決めてしまったのか......。他の選択肢もないわけではなかったのに......。
偉くなりたいんだよな。
自分にはそういったコンプレックスがある。
自分のことを情けない存在だと思っているから。
他人に自慢できるバッジが欲しいんだ。
警察官でも自衛隊員でも消防士でも、他人に見せて凄いと思われる職業に就きたかったんだ。僕には耐え難い職務だから無理なんだけど......。
この思いの根本にはコンプレックスがある。
自分は無条件で素晴らしい存在だという感覚を持っていないがために起こっている。
誤解ないように述べると、他人と比べて優れているという意味ではない。無条件なので、誰と比べなくても自分を肯定できている感覚のことを言っている。
コンプレックスのせいで自分の存在そのものを肯定できずにいる。
別に劣っている部分があっていい。誰にだって劣っている点はあるものだ。
そこを素直に受け入れていればいいんだ。
だというのに僕は劣っている部分に関してコンプレックスを持ってしまっている。これが問題だ。
劣っていること自体はマズいことではない。劣っていることにコンプレックスを持っているのがマズい。
コンプレックスに思わなければ他者と比較して劣っている部分を自覚しても苦しむことはなくなる。気にしなくなるし、比較もしなくなるだろう。
しかし、コンプレックスに思ってしまえば苦しむものだ。同年代の他人と比べて自分の稼ぎが劣っていること、社会的栄誉を得られる仕事でもないこと、それらを素直に受け入れられない。
だから偉そうなバッジを求めてしまう。
もしそのバッジを得られたのなら、そのバッジをつけていられる間はコンプレックスは解消されると思う。
これがお釈迦様ならバッジを求めず、四諦を以てコンプレックスを消滅させるのだろう。俺もそっちの方がいいな。
コンプレックスに使われるのも、感情に使われるのも御免だ。
偉そうな職業じゃなくても、稼ぎはどうであろうとも、本心に沿った仕事をやりたい。
コンプレックスを消滅させればバッジは不要になる。バッジに使われる人生ではダメだ。
異動先の業務が嫌だと思うのは、カッコがつかないからだ。
カッコがつかないのを嫌だと思うのは、周囲からバカにされそうだと思うからだ。
周囲からバカにされることを嫌だと思うのは、自分はそれしかできない劣った存在なんだと言われているようで悲しいからだ。
そこに傷つくのは、自分もそうだと思っているからだ。
劣っていると言われているようで悲しい。自分もその通りだと思ってしまっているから傷つく。図星を突かれたのでないなら、どこか他人事のように聞き流しているはず。
だからそのコンプレックスを解消するために偉そうなバッジ(名誉勲章)を欲しがってしまうんだ。自分を凄そうに見せたがってしまうんだ。高給に憧れてしまうのも、高給取りというバッジを欲しがっているに過ぎない。
僕の場合、社会的ステータスは上のほうでありたいと願うのは、自分に自信を持てずに自己肯定感が育っていないからだ。
自分の劣っている点を受け入れて自己肯定するしか、きっと真のコンプレックス解消の道はないのかもしれない。劣っていることにコンプレックスを持つ必要はないと自然に思えるようになる道しか......。
劣っていたっていいんだ。それを認めて許すんだ。コンプレックスは苦しみのもと、誤った判断のもとだ。そう思いたい。
すべてのコンプレックスを完全に捨て去った赤ちゃんのような心でいたい......。いや誤解しないでくれよ? 知能じゃないよ? 心だよ? 人間って育っていくごとにコンプレックスを持っていってしまうものだから......。
コンプレックスを捨て去った先に真の本心があるような気がする。
その真の本心で私は生きていきたいなと思っています。
他者より劣っていたっていいんだよ。劣っていることをコンプレックスに思わなくていいんだよ。
そう自分のことを肯定したい(許したい)です。
どうでもいい追伸
前回作った晴嵐なんだけどね。本当は機首に重りを仕込まないといけなかったんだよね。倒れちゃうからバランスをとるために。でも入れなかったからやっぱり後ろに倒れちゃうんだよね......。重りナシでもいけると思ったんだけどなぁ......。