アーマードコア6の序盤プレイ感想
PSストアで30%オフ価格だったので。
今さらかよ!! もう歴戦のシリーズファン達はとっくにストーリー終わらせてオンライン対戦に潜ってますよ!?
というセルフツッコミを入れつつ。せっかくの値引き価格だったので......。
PS5は未所持なので、PS4版で遊ぶことにしました。
いままで僕はアーマードコアといったら3しかやっていません。なのでPS2時代ぶりのアーマードコアになりますね。
なんだろう。このゲームをやっていると、プレイステーションで遊んでいる甲斐があります。プレステってこういうグラフィックを活かすゲームのためにあると感じました。
こういうゲームでもしグラフィックの質を落としてしまったら、リアル感が薄れて我が興奮度は下がるのです。
それならPS5でやれよって話なんですけどね。まだPS5を買う意義を見出せないので......。
PS5でしか遊べないゲームが出てきて、どうしてもそれをプレイしたいってなったら買うと思う。(※何年か前にPS4を買ったきっかけは、ニーアオートマタをプレイしたかったから。あの頃はまだPS4版しかなかった)
あと当たり前なのですが、3の頃に比べると6の操作感は遥かに快適になっています。
3の頃の適度な不自由感も好きでしたけど、こっちも大好き。ゲームスピード爆上がりでまだ機体操作に振り回されている状況ですが。
まだチュートリアル+ミッション2つ攻略した程度なので、主な感想はこのくらいですね。まだまだ序盤も序盤です。
機体構成もエネルギーシールドを装着して、ブースターとジェネレーターを換装した以外は初期のままです。
なお、この初期機体構成の解説を読んでみて思ったことは......主人公、本当に必要最低限の性能の機体で乗り込んできたんだなぁと。
これはよほど主人公側の組織に資金がないのか、主人公が一山いくらの鉄砲玉要員なのか......。今作はちゃんとストーリーがありそうなので、その辺りも勘ぐってしまうよね。
にしても、チュートリアルステージのボスキャラが強かった。
巨大なヘリみたいな戦闘マシンなんだけど。ともかく撃って撃って撃ちまくってくるから。うまく避けて遮蔽物に隠れながら戦わないとあっという間に詰む。
でも俺に回避テクなんてないので。
とにかくも初期装備のビームソード、実弾銃、マルチロックミサイルを命中させながら、3回まで使用できる回復キットを用いつつなんとかかんとか倒しました。
使えるものは全部使わないと勝てないゲームバランス......。流石はチュートリアルボス......。モンハンのイャンクックさんかよ......。
まあ、ぼちぼちやっていこうと思っています。クリア後に対戦に潜る気は今のところないです。絶対に歴戦のレイヴン達にボコられるってわかるからね!! このゲームはプレイヤースキルで差をつけるものなので!!
凡夫で良いと思った日
僕は凡夫で良いと思った。
凡夫というのは、欲望への執着を手放せないことから悟りを開けない衆生のことをいいます。
欲望はあってもそれに執着しないなら苦しみはないよとお釈迦様は言った。(※物理的痛みや飢餓はどうあがいても苦しみだろうと思いつつ)
そもそも欲望自体を消滅させられればベストなのだろう。
しかし、人間は次から次へと勝手に欲望がわいてくるものだから、そういう話になっています。
欲望は断てない。なので執着を断つ。
それで。俺自身もそうあろうとした時期があった。
執着を断とう。できれば欲望そのものを持たないようにしよう。なんてね。
いつの間にかそれが生き方になっていた。けど、それは自分自身を不幸にしていた。おまけに欲望も執着も断ち切れず、悟りなんて開けるはずもなし。そのことで自分を責める日々......。
そんな日々を過ごしていたら、あるとき急に「凡夫でいいんだ」と腑に落ちた。
私は凡夫なんだ。それでいいんだと。自分の欲望も執着も肯定していいんだと。
腑に落ちたとき、身の程を知った感覚だった。
開き直った感覚とも違う。開き直りにはない、現実を穏やかに受け入れた感覚だった。
欲望を否定してはならなかった。
僕は阿弥陀仏に縋るしかない存在だったのだ。(※阿弥陀仏は自力で悟りを開けない人間を救う仏様です)
僕は阿弥陀仏にしか救えない、阿弥陀仏の救う対象でしかなかった。
これは阿弥陀仏様のことを悪く言っているわけではないのだけど......。うん、あまり名誉なことではない。
自分はどうしようもないボンクラなのだと自己紹介しているようなものだからね......。
そんな僕でも救っていただける。阿弥陀仏様ありがとうございます。......うん、こりゃ南無阿弥陀仏って言葉も口をついて出てくるわ。出てくるしかない。
他の仏様も匙を投げるほど、少しの見込みもない人間を救おうとするのが阿弥陀仏様なので。
僕のような悟りを得たくてあがいていたのをやめて、凡夫であることを受け入れた人間なんてまさに救済対象といえるのでは?
あの仏僧としてレベルの高すぎる法然上人でさえも浄土宗を立ち上げたほどだったのだから。もはや空海さんレベルの大天才じゃないと自力で悟りを開けないのではないか? キリストじゃないけど、もしかして針の穴を通るよりも難しいことなんじゃないの、悟りを開くのって......。
私は欲望にまみれた人間です。
欲望があるので永遠に輪廻転生するでしょうね。生まれ変わってやりたいことが出てくるでしょうから。我慢の時は有限です。
でも仏様の視点だとそれは苦しんでいるように見えるわけです。
衆生の我々からすればなんだかんだ生を楽しんでいるのですけどね。今まで彼女も伴侶もいたことなくてゲルニカ絵画のような悲しみを内心で抱えている32歳童貞の僕でさえも。
僕の悟りを得ようとする時間は終わり、か......。
これからは阿弥陀仏を一心に拝みつつ、凡夫として自分の欲望を肯定して生きていくしかないわけか......。まあ、自分を殺して成す善は悪の善なので自己犠牲はやめろと日月神示にも書かれているし......。
ああ、この世で苦しみから解き放たれた存在になりたかったな......。どこに行っても無敵な存在になりたかった......。(※ここでいう無敵とは敵を作らない状態を指します)
苦行......というか、自分が苦しむだけの苦労はマジで無駄だったな。むしろマイナスにしかならない。引きこもり量産行為でしかない。自分の成長を潰すだけじゃんか。やっぱり喜びあるほうが成長するよね。
最近になって思考というか価値観というか人生観の転換期に来ている気がします。これまでは「正しさ」が自分の価値基準の最上位にあったのですが、最近では三位くらいになっていますし......。まあ、そこまで割り切れているわけでもなくて、迷ってもいるのだけど......。
けど、凡夫で良いと思えるようになったのはよかった。素晴らしい自分に近づくためにやっていた「こうあらねばならない」という呪縛から解放されていっているように思う。
素晴らしいものであろうとする必要はない。自分の中に戒律を定めなくても良い。苦よりも楽を尊ぶようにしていきたい。......今日、ゴーヤの佃煮を作ったけれども。佃煮にしてもゴーヤはゴーヤの苦さを貫いているけれども!!
正しいかどうかは置いておいて。
自分の心が活き活きする道をゆきたいです。元気になるほうに向かいたいです。幸せになるほうに向かいたいです。
そういう人生を歩んでいきたいですね。自分を犠牲にしてまで正しくあろうとするのは終わりにしたいところです。
そういう意味では『善』じゃなくていい。まあ、悪人になれる才能もないのだけどね。