これまで作り上げてきた複数の戦闘機のプラモデルを眺めて、ニヤニヤしている自分がいる。
紫電と紫電改のデザインを見比べて、どっちも良いねと思ったりとか。
Bf109のE型も改めて見てみると良い造形しているよなとか。
やっぱり新型水性ホビーカラーも優秀な塗料だけど、タミヤエナメル塗料で塗装した戦闘機のほうが質感良いよなとか。
やっぱり色を塗ると印象と出来栄えは全然違うよねとか。
プラモデルって作ることも面白いのだけど、作り終えたものをたまにじっくり眺めて悦に入るのも楽しいんだよね。
しかし......。1/72スケールでは、もはや作りたい戦闘機はなくなってしまった。強いて言えばゼロ戦52型丙と五式戦と一式陸上攻撃機くらいだろう。
そろそろ1/48スケールから見つけていくのも良いのかもしれない。置く場所に困るけれど......。
元々は置く場所に困るから1/72スケールを作り始めたのだよね。
それなら1/144スケールでも良いじゃんと思うかもしれない。
いやいや、流石に1/144だと小さすぎない? この手のプラモデルはサイズが大きいほど存在感も満足感もクオリティも増すというものだと勝手に思っていまして......。
1/48スケールならF4FとかF2Aとか一式戦1型とかを作りたいな。
しかしスペースがなぁ......。やっぱり1/72くらいがちょうど良いんだよなぁ......。タミヤかハセガワが1/72で出してくれないかなぁ......。
最近、趣味がどんどん減ってきている。
ゲームはほぼほぼやらなくなり。ガンプラもまず作ることはなく。食べ歩きもやらなくなり。戦闘機プラモデルを作るという趣味も退き際かとなりつつある。
唯一、料理をしているときは楽しい。味玉作るの楽しい。
昔にハマった趣味はもはや面白くなくなり。昔はハマることのなかったことが面白くなっている。
昔はどれだけクソな作品でもラノベであればアニメであれば楽しみまくっていた二次オタだったのだが。オタクだった頃に好きだったことの悉くが今となっては面白くない。
歳を経るごとにオタク趣味から自然と離れていっている。
空虚だ。心にぽっかり穴のあいた気持ちだ。10代の頃は「僕は一生涯、アニメ・マンガ・ゲーム・ラノベ・ガンプラ・エ〇ゲを同志達と共に情熱的に楽しみ尽くすのだろう」と思っていた。
しかしこの情熱は20代後半頃から年々剥離していきている。本だってラノベやマンガ以外にもアホみたいに読んでいたのに......。
代わりに10~20前半頃には興味もなかった料理とか戦闘機のプラモデルとかを楽しんでいる。自分の変化でさえも自分の思い通りにはならないというのか。
オタクだった人間が、オタク趣味に興味を持てなくなったとき。
そこにいるのは「かつてオタクだった何か」なんだよね。何歳になってもオタ活を楽しむ人達を見ていると、自分は偽物だったのだと思い知るよね。本物が眩しい。
ずっとオタクでいられたら人生楽しかったんだろうな。
いまではそこまで楽しみを感じられない。あの頃のような、心からの興奮と喜びを感じられない。
......あ、でも最近はシン・仮面ライダーとグリッドマンユニバースを観たっけ。あれは良かった。
しかし......今の年齢だからこそギリギリそう感じられているのだろう。もっと歳をとれば感じ方も変わるのだろう。自分の意思とは無関係に......。
いくつになっても二次元に夢中でいたかったな......。夢中でいられる年齢というものは存在したわけだね。
かつての俺には必要だった。けれど、今の俺は必要を感じていない......。好きって気持ちは変わらないけれどね。
料理なんて面倒だと思っていたのに料理を楽しいと感じるようになった。
アニソンを歌うのが好きだったのに軍歌を歌うことが楽しくなった。
ロボット系プラモデルを作っていたのに戦闘機プラモデルを作るようになった。
ラノベを愛してやまなかったのに書店に入っても見向きもしなくなった。
エ〇ゲに夢中だったのに今ではお話を進めることすら面倒臭い。
あれだけ感動していた事柄だったのに、今では心動くことはない。(※嘘。まだ少し動く)
こういうのなんていうんだろう。卒業? 引退? 退位?
どれも違う気がする。自分から辞めたわけではない。心が変わってしまったから、興味を持てなくなって......僅かながら別の楽しみを見つけて......。変化、かな?
いや。別離、だな。
俺は、二次元を愛していたかつての自分と別れてしまったのだと思う。二次元は今でも好きだけど、ライクなんだ。もうラブではない。昔の俺ならラブオブラブだった。
自分の心すらも自分の思うようにはならずに変化していくのか。
まだ少しだけ二次元を楽しむ心は残っている。けれど、それは日焼けのようなもので、いずれは日焼けも消えていく定めなのだろう。
いつまでもオタクでいられる人って凄いな。俺はダメだったよ。
空想は空想だと認識してしまった。空想と現実が曖昧に混じり合っている感覚を失くしてしまった。(※でも神仏はいると思っている)
空想を空想だと知ると、空想に夢を見れなくなる。どうせフィクションだろうという意識になってしまうから。
こうなってしまったキッカケはなんだろう? やっぱり日月神示に出会ってしまったことだろうか?
肉よりも野菜のほうが美味しく感じるようになったしなー。肉も肉で美味しいけれど。肉は舌が喜ぶが、野菜は身体が喜ぶ。たぶん日月神示の影響。
それでも日月神示を読んでおいて今でも四つ足食ってるからな。この神示を読んで、マジで穀物菜食生活に移行できた人っているのだろうか。
そう思って久しぶりに手持ちの完訳日月神示をパラパラめくってみたら、やたらと「御用に使う身魂は苦労に苦労をさして鍛えている」というワードを見かける。
別に俺は苦労していない。確実に御用に使われる身魂ではない。
人生にはあらゆる苦しみがあって、そのあらゆる苦しみから逃れたいと考えている凡人だ。娯楽や幸せを求めるのも苦しみから逃れたいからなのかもしれない。
......このままだと延々ぐだぐだと話が続きそうなので。ここで終わりにします。