20代の頃まではゲームが大好きだった。
そりゃもう一日何時間でもできた。
しかし。気づけばあまりゲームをしなくなっている。
ごく稀に個人的に素晴らしいゲームが登場して出会った場合のみハマる。
以前であれば素晴らしくとも素晴らしくなくともハマっていたのに......。
今ではよほど面白くないとハマれない。
特に頭脳で「これは面白いはず」と考えて買ったゲームはダメだ。
心が「これ欲しい! やりたい!」と反応したゲームでないとお金の無駄遣いで終わる......。しかし、心が反応するゲームなんてそうそう見つからない......。
積極的にゲームをすることが少なくなった。
特に一人プレイ用のゲームはほとんどやらない。(前に『あくありうむ。』をプレイしたのはあくたんが可愛いからだ)
プレイしたくてもお金がなくて過去に買えなかったゲーム達を今更になって購入しても積みゲーが増えていくばかりになった。
やりたかったゲームなのに、手元にあるのに、手が出ない。
純粋にゲームを楽しめる年齢というのは絶対にあると思った。
今では細々と家庭用の『ガンダムEXVSマキシブーストON』とか『機動戦士ガンダム バトルオペレーション2』をやっている程度だ。惰性でやっているけれど、これだけはかろうじて続いている。ネット対戦型のゲームならばまだ続けていられるようだ。
10代の頃はインターネットに投稿されているフリーゲームをダウンロードしてよく遊んでいた。面白いものもあった。つまらないものもあった。どちらを遊んでも充実していた。
今では自分から面白いゲームを発掘しようとする発想すらない。
一生飽きないと思っていたんだけどなぁ、ゲーム。
なんだろう、10代20代の頃はゲームを遊ぶことで得られるものがあると思っていた。
学べること、とも言える。ゲームも製作者のいる作品である以上はメッセージが込められているものだと思っていた。実際にそういう作品もあるとは思う。ゲームのおかげで僕の感受性は刺激されまくっていたのだから。
それこそ学生時代は毎日、家と学校の往復のなかでお金もないから遠くに出かけることもできず。そんな僕の心に開放感と自由感を与えてくれるものがゲームだった。
今ではゲームに依存せずとも開放感と自由感は得られている。お金もあるので行動範囲は広がって、ゲームでなくても学びを得る機会は多々得られるようになった。
ゲームでしか得られなかったことが、ゲームでなくても得られるようになった。
だからなのかもしれない。僕がゲーム離れを起こしているのは。
依存する必要がなくなったのだろう。
あれほど情熱を注いで今も求めているはずのものを欲さなくなっている......虚しさを感じる......。
無常だ。常なるものは何もない......。一途な情熱さえもいつかは滅するものだというのか......。
けれど、ゲーム離れとはゲームに依存しなくなるということだ。
きっと良いことなのだと思う。何かの始まりでもあると思う。
ゲームがなくても生きていけるということなのだから。そこにまだ虚しさを感じはするけれど......。一番ゲームを楽しめる年齢のときに一番楽しみたかったゲーム作品達を何作か遊べなかったけど......。悔いは少しだけ残るけれど......!!
うーん......よし。どうせならまたやるか。プレイできずに子供の頃に買いたかったゲーム達を......ッ!!